職場という名の小さな国には、時々、誰もはっきりとは言わない歪みがある。
今回引っかかったのは、「応援に行った人間が、戻ってきたあとに文句を言われる」という出来事でした。
他部署へ応援に行く。
それ自体は、仕事をしていれば珍しいことではありません。
人手が足りない。
現場が回らない。
誰かが一時的に穴を埋めなければならない。
そういう理由で、普段とは違う部署へ行き、普段とは違うやり方の中で仕事をすることがあります。
応援に行く側としては、好き嫌いだけで動けるわけではありません。
必要だから行く。
頼まれたから行く。
会社の中で仕事が回るように、自分の持ち場を一時的に離れる。
ただ、問題はそのあとでした。
応援が終わり、自分の部署に戻ってきたあとで、「向こうのやり方が染みついた」というような文句を言われる。
そのとき、かなり強い違和感が残りました。
ん?待てよ。
応援に行かせたのは誰だったのか。
応援先に合わせる必要があったのは、なぜだったのか。
戻ってきた人間だけが責められる話なのか。
今回は、その違和感を少し距離を置いて整理してみます。
他部署へ応援に行ったあとに残った違和感
応援先には、応援先のやり方があります。
普段の部署とは違う空気。
違う手順。
違う判断基準。
違う優先順位。
そこに入る以上、ある程度は合わせるしかありません。
応援に行った側が、自分の部署のやり方だけを押し通すわけにもいかない。
その場で求められる動きに合わせる。
応援先の流れを見て、邪魔にならないように動く。
普段と違うやり方でも、その現場で必要なら従う。
これは、応援として入る以上、ある程度は当然のことだと思います。
それなのに、自分の部署へ戻ってきたあとで、「向こうのやり方が染みついた」と文句を言われる。
ここで引っかかりました。
もちろん、元の部署に戻った以上、元のやり方に合わせ直す必要はあります。
そこは仕事として意識しなければいけません。
ただ、応援によって起きたズレを、すべて個人の問題として扱われると、話が少し違ってくるように感じます。
応援とは、本来「穴を埋める行動」のはず
他部署応援というのは、本来なら組織の穴を埋めるための行動だと思っています。
どこかに人手不足がある。
どこかに負担が偏っている。
そのままだと仕事が回らない。
だから、一時的に別の場所から人を出す。
つまり応援に行く人間は、問題を作りに行っているわけではありません。
むしろ、すでにある問題を少しでも軽くするために動いている。
それなのに、戻ってきたあとで「向こうのやり方が染みついた」と言われると、応援に行った側だけが損をしているように感じます。
応援先では、応援先のやり方に合わせることを求められる。
戻ってきたら、元の部署のやり方に戻すことを求められる。
その切り替え自体は必要です。
ただ、その切り替えを本人任せにしておきながら、あとから文句だけを言うのは少し都合がいい。
応援に出すなら、戻ってきたあとのズレも含めて見る必要があるのではないかと思います。
文句を言うなら、まず構造を見てほしい
この手の話で一番しんどいのは、個人だけに責任が寄ってくることです。
応援に行くことを決めた人。
人手不足を放置している構造。
部署ごとのやり方の違い。
戻ってきたあとに調整する仕組みのなさ。
本来なら、見るべきものはいくつもあるはずです。
それなのに、最後に残った違和感だけが、戻ってきた人間に向けられる。
「やり方が変わった」
「向こうに染まった」
「前と違う」
そう言われても、こちらからすれば、応援先で求められた動きに合わせただけです。
違う環境に入れば、その環境の影響を受けることはあります。
それを責めるなら、応援そのものの扱い方も考えた方がいい。
人を出すなら、戻ってきたあとのズレも含めて見る。
応援先のやり方に触れることを前提にする。
戻った人を責める前に、なぜそうなったのかを確認する。
そこまで含めて、ようやく「応援を出す」という話になるのではないかと思います。
直接言われない文句ほど、重さが残る
もう一つ引っかかるのは、こういう文句が直接ではなく、どこか裏側で漂うことです。
面と向かって言われるなら、まだ確認できます。
どの部分が気になったのか。
具体的に何を直せばいいのか。
元の部署では、どのやり方に戻す必要があるのか。
そういう話ができれば、こちらも対応できます。
けれど、直接注意されるわけではなく、どこかで文句のように扱われると、直しようがありません。
問題点が分からないまま、空気だけが悪くなる。
これは、かなり疲れます。
指摘なら、まだ受け止めようがあります。
しかし、具体的な指摘ではなく、雰囲気だけで責められているように感じると、どう動けばいいのか分からなくなります。
何が悪かったのか。
どこを直せばいいのか。
本当に自分だけの問題なのか。
そのあたりが見えないまま、ただ「何か言われている」という感覚だけが残る。
職場という小さな国では、こういう曖昧な空気が一番厄介だったりします。
「自分が悪い」とすぐ決めなくていい
こういうことがあると、つい自分が悪かったのかと考えてしまいます。
応援先に合わせすぎたのか。
戻ってきたあとの切り替えが下手だったのか。
自分の動き方に問題があったのか。
もちろん、反省する部分がまったくないとは言い切れません。
仕事である以上、自分の動きを見直すことは必要です。
ただ、全部を自分の責任にする必要もないと思います。
応援に行ったことで起きたズレなら、それは個人だけの問題ではありません。
部署間の違い。
指示の出し方。
人の使い方。
戻ってきたあとの受け入れ方。
そういうものが絡んでいます。
だから、まずはこう考えてもいいと思います。
これは本当に自分だけの問題なのか。
そもそも、応援の出し方に無理がなかったのか。
戻ってきた人を責める前に、見るべき部分があるのではないか。
ん?待てよ。
そうやって一度立ち止まるだけでも、見え方は少し変わります。
何でもかんでも自分の責任として飲み込んでしまうと、必要以上に疲れてしまう。
自分に直すべき部分があるなら直す。
けれど、構造の問題まで一人で背負わない。
その線引きは、かなり大事だと思います。
応援に行った人を責める前に
応援に行った人は、少なくとも何かを埋めに行っています。
人手が足りない場所へ行く。
普段とは違う現場に入る。
その場で必要とされる動きに合わせる。
それは、簡単なことではありません。
慣れた場所でいつも通り動くよりも、違う環境で仕事をする方が気を使います。
応援先の空気を読む必要もある。
やり方の違いにも対応しなければならない。
普段なら考えなくていいことまで考える場面もある。
それなのに、戻ってきてから文句を言われるのは、やはり少しおかしい。
応援とは、本来なら助けるための行動です。
その結果生まれたズレを、助けに行った側だけに背負わせるのは、筋が悪いように感じます。
もし戻ってきた人のやり方が変わったように見えたのなら、まずは理由を聞けばいい。
何があったのか。
どんなやり方を求められたのか。
どこを元に戻す必要があるのか。
それを確認せずに、ただ文句として扱うなら、その職場にはまた別の歪みが残ります。
小さな違和感を、そのままにしない
今回の出来事は、大きな事件ではないかもしれません。
誰かに強く怒鳴られたわけでもない。
正式に注意されたわけでもない。
目に見えるトラブルになったわけでもない。
けれど、こういう小さな引っかかりの中に、職場の歪みが出ることがあります。
人手不足をどう扱うのか。
応援に行く人をどう見るのか。
戻ってきた人に何を求めるのか。
文句を、指摘ではなく空気として流していないか。
そういうものが、ひとつの出来事の中に混ざっている。
応援に行った人間が、戻ってきたあとに文句を言われる。
最初は、小さな出来事のようにも見えます。
けれど、少し立ち止まって考えると、やっぱり引っかかる。
ん?待てよ。
応援とは、本来なんのために行くものだったのか。
その場に合わせて動いた人だけが、あとから責められる話なのか。
そう考えると、この違和感をそのまま飲み込む気にはなれませんでした。
大きな結論が出る話ではありません。
それでも、自分が感じた違和感を整理しておくことで、少しだけ見え方が変わることがあります。
今回は、そんな記録です。


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